すゞろなる記

すずろ【漫ろ】〈形動ナリ〉たいしたものではない。たわいもない。

京都のやきもち(京都府京都市)

京都土産のやきもちです。

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その名の通り、表面を焙っているので、薄皮でもしっかりとした触感です。

平べったくて、口に入れた感じは干し柿を思い起こさせます。

前歯で噛み切ろうとすると案外柔らく、結局噛み切らずに、手にしている残りも口中に。

勿体ぶらずに一口でいった方がいいですね、このお餅は。

野趣のあるお餅で、「うまい」という言葉があうように思います。

美保関漁港を散策

日の出の頃は賑やかだった漁港も、すっかり日が昇った頃には森閑としています。

弁天波止場の常夜灯です。

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灯台の役割を果たす燈籠として天保13年(1842)に建てられその後、明治3年(1870)、平成23年に来待石で再建されたとのこと。

燈籠から湾の東側を眺めます。

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小泉八雲は三度訪れ「深いきれいな水をたたえた半月形の入江」と日本瞥見記(べっけんき)の中で記しているとのこと

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南側に目を転じると、鳥取県の陸地が見えます。左側に見える、ひと際大きな山は大山だと思われます。

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今回お世話になった美保館です。右手前の白いビルが新館、左に見える2階建ての日本建築が朝食会場の本館です。新館最上階には海岸向きに大浴場があり、海を見ながらお湯につかることができます。

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烏賊の味
 忘れで帰る
  美保の関
     虚子

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万原ターミナル行きのコミュニティバスに乗り、途中乗り換えて堺水道大橋を渡り、境港駅から電車で米子空港に向かい、帰京しました。

青石畳通り

美保神社参道に、「青石畳通り」と書かれた看板が立てかけられた門があります。 

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美保関周辺の海岸では、通称「青石」と呼ばれる緑色凝灰岩が取れるとのこと。
美保神社から仏谷寺に至る、青石が敷き詰められたこの小道に青石畳通りという名がつけられています。

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もしかすると昔は海岸線に沿った道は無く、人々はこの青石畳通りを行き来していたのかも知れません。宿の古い玄関がこの通り側に向いていることが、その名残りのように感じました。

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このような立て札が見られます。

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徳富蘇峰の「探古徴今 長存勝蹟」の碑が建てられていました。

意味は

古きを探ね(たずね)、明らかになる今
長く(ひさしく)勝蹟に存る(とどまる)

ー 由緒ある歴史的景勝地を訪ね、
  目前にその歴史が明らかになる今、
  私はいつまでもそのすぐれた勝蹟(古跡)に留まり続ける

とのこと

9時52分発のコミュニティバスに乗るため、仏谷寺参詣は断念しました。

美保神社・朝御饌祭(あさみけさい)

8時30分から朝御饌祭が始まります。

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神職が笛と太鼓を鳴らし、巫女が舞を奉納します。

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このような舞が毎日、朝と夕に奉納されます。これこそ、観光客向けに作られた行事ではなく、過去から連綿と受け継がれている行事なのだなあと感慨深い。
約30分の舞を拝観した後、境内を散策します。

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天保10年(西暦1839年、己亥)に作られた燈籠なのですね。
廻廊に保管されていた大鼕(おおどう)です。

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説明書きから抜粋

安政5年7月、因幡国八東郡妻鹿野(めがの)村(現在の鳥取県八東郡八東町妻鹿野)にあった樹齢千年の欅をくり抜き「三つの兄弟太鼓」が製作され、鳥取藩で使用された。

他の二つの大鼕は、名和神社鳥取県西伯郡大山町)賀露神社(鳥取県鳥取市賀露町)に奉納されている

 

美保神社に参詣

朝食を済ませ、宿から徒歩5分程度の美保神社に急ぎます。毎朝行われる朝御饌祭(あさみけさい)に臨むためです。

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後ろを振り返ると、すぐ目の前は美保関漁港です。

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参道を進むと、廻廊が見えてきます。

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廻廊をくぐった先の社殿

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社殿を左側から見たところ。奥の本殿と手前側の拝殿が繋がった構造です。

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美保館本館の大広間

朝食会場は、海を臨む大広間です。水面で反射した朝日が差し込みます。

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美保大観を望む縁側

 昭和中頃まで、この大広間は襖で仕切られた四つの客室でした。縁側からは今も昔も美保関港越しに大山を望みます
 表の道路は無く、縁側から釣りを楽しむこともできたそうです。
 この縁側は菅原文太さんの「時代はパーシャル」CMの一作目の舞台にもなりました。

 その縁側からの景色がこちら

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