すゞろなる記

すずろ【漫ろ】〈形動ナリ〉たいしたものではない。たわいもない。

米澤穂信著「リカーシブル」を読んで

風にそよぐ木々の緑もまぶしい季節となりました。

外出もままならない中、身近な人には語れない思いを吐露させていただきます。

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「リカーシブル」との出会いは平成24年(2012年)の夏、佐藤優氏の連載自伝「プラハの憂鬱」を目当てに、数か月分の「小説新潮」を図書館で読み漁っていた時のことであった。ある月の「プラハの憂鬱」を読んだ後、他の小説にも目を通し、次号に手を伸ばすという流れの中でふと、「リカーシブル」が目に止まった。確か、主人公が初めて夜の散歩に出かける場面だったと記憶している。後日、本作を一通り読み終えた後で振り返ると、この場面は物語の中で、特に目立つ場面でもないのだけれども、主人公の心のうちが丁寧に書かれた精緻な文章が印象的であった。

 

「リカーシブル」との再会は、数か月後に図書館でやはり「小説新潮」を読み漁っていて、たまたま貸し出し棚に残っていた最新号に掲載していた、本作の出版通知だった。作品の一部を読んで、その作品を通しで読んでみたくなる。国語の教科書に掲載していた作品の続きが気になって、数年後に本屋でその作品を求めていた頃の感覚を思い出した。

 

読了して改めて、語彙の豊富さ、丁寧で緻密な文章表現が印象に残った。著者のプロフィールから読み解くと、30歳を超えた辺りで本作を書いたのだと想像できる。著作物には多かれ少なかれ、著者の人生経験が反映されるのだと思う。舞台の「坂牧市」は「第三高速道路計画が上手く進めば、名古屋にも東京にもすぐ行ける」場所にある。「東京にも名古屋にも」ではなく、「名古屋にも東京にも」という語順から、中京地域なのだろう。「太洋新聞」という単語からも、「坂牧市」は日本海側よりも太平洋側に目が向いている地域なのだと感じる。そして、著者は、岐阜出身である。作家という職業は、如何に自他の経験を糧に、適切な言葉を紡いでいくのかが問われる職業なのだと感じた。

 

小説を味わいつつ、印象的な言葉を書き出してみた。後ろの括弧内の数字は、出現した頁番号です。

 

1.この作品で初めて出会った生活用語

 

矢絣柄(やがすりがら)(4)

悉皆(しっかい)(201)

 

着物を着る人が身近にいたのだろうか。これから先、「悉皆」という言葉が広く使われることは考えにくい。「使われなくなった言葉(単語)は、いずれ人々の記憶から忘れ去られてしまう」ということを、何かの書評で読んだ記憶がある。そう言えば、祖父母が健在の頃は、正月は一族着物を着て挨拶に行っていたことを思い出す。あまり気負いせずに、着物を着る機会が増えれば良いと思う。

 

2.日常生活であまり使わない言葉

 

三和土(たたき)(5)

緞帳(どんちょう)(356)

 

漢字は読めるけれども、実物の「三和土」、「緞帳」を見てこの名前を思い浮かべるかは、心許ない。建築や、調度品に関心を寄せる人であれば安易に名指しできると想像できるが、そうでない人にはハードルが高いかも知れない。

 

3.推理小説民俗学の関連と思われる言葉

 

・淫祠邪教(いんしじゃきょう)(135)

火車憑き(かしゃづき)(249)

・姥皮(うばがわ)(261)

・猿の嫁、悪魔の嫁、ハイヌヴェレ、オオゲツヒメ(263)

五葷(ごくん)(264)

・徹宵(てっしょう)(265)

 

これらの言葉は、意図して探さなければ出会う可能性は低いでしょう。いくつかは、構想を組み立てる段階で、拾った言葉なのだろうと推測する。

 

4.心情や場景を彩る表現

 

・気持ちがささくれ立つ(18)

・喧噪の中でも耳聡く、とたんに相好を崩し(58)

・捨て鉢な気分に(65)

・雨に煙る(76)

・向こう見ず(80)

・身も世もなく(223)

・薄暗がりに沈んでいる(256)

・鉤の手に曲がった(325)

・見え透いた虚勢を張る(349)

・矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)(357)

太平楽な唸り声を上げる(358)

 

国語の穴埋め問題で問われれば答えられるものもあるが、これらを自らの文章で使うことは出来るだろうか。「知っている」のと、「運用できる」は別次元だと思う。

 

5.ネタバレを避けて、お気に入りの文章を抜粋します。

この文章は…本当に上手いなあ。引っ越しを経験した幼い頃を思い出します(176頁)。

 

日差しは遮られ、空気には汚れた水の匂いが混じる。(中略)しばらくまっすぐ歩き、コンクリート塀に突き当たると右に曲がり、生垣に突き当たって左に曲がる。わたしはただその後をついていくしかない。知らない路地裏を歩くことで、わたしは次第次第に、奇妙な考えに取り憑かれていく。

 

わたしひとりでも、この道にはいることはできただろうか。(中略)わたしは、町中にこうした道がはりめぐらされていることを想像する。五年、十年と住んだひと・・・いや、時間の問題ではない。この町で生まれ育ったひとだけが知る、幾本もの道を思い浮かべる。

 

それら全てが知らない街に積み重ねられた人間の暮らしの表出のように感じられて、得体の知れない肩身の狭さに襲われる。(中略)けれど知らない路地は、わたしがこの町にとってただの新入りであり、歓迎する理由はないのだと暗に告げているようだ。

 

難しい言葉を並べ立てることが良いこととは思わないが、一定程度の語彙力・表現力が無ければ、丁寧な描写は困難だろう。他にも

 

「からんからん」、「ちらりちらり」、「ぐらりぐらり」という擬音語/擬態語

 

「カランカラン」だと文字が際立ってしまうところが、平仮名表記により変な休止が無く、流れるように読めるように感じる。

「ちらりちらり」、「ぐらりぐらり」は心の不安定を誘うように思える。

 

以上、好き勝手に考察してみたが、これらは著者の計算によるものなのか、感覚によるものなのかは分からない。

物語の内容と同じくらい表現に惹かれる、私にとってそんな作品です。