前日の夜半に燈籠が灯っていたので、その翌朝に訪れてみました。
獨身者(ひとりもの) 本気になって 蚊をたヽき
馬鹿にする 気で代診へ 舌を出し
味わいのある絵と句が書かれていました。
この燈籠をくぐった先にお社があったので、見てみました。
縄張神社と川村孫兵衛重吉
この神社は正式には「縄張稲荷神社」といい、祭神は倉稲魂神(うかみのたま)で、川村孫兵衛重吉が北上川の改修工事を行ったとき、測量の際に使った大量の縄を納めて「縄張大明神」として江戸時代の始め、一説には寛永年間(17世紀前半)に創建されたと伝えられています。
川村孫兵衛重吉は、天正2年(1574年)今の山口県に生まれました。
伊達政宗にその腕を認められ、仙台領内の治水等の土木工事を行いましたが、その代表的なものとして北上川の改修工事が挙げられます。
北上川の改修工事の実態については、ほとんど資料が残っていないために
詳しいことは不明ですが、孫兵衛の北上川改修以前、慶長5年(1600年)に書かれた「かさいおおさきとめの日記」には、船のある場所として「いしのまき」「おうり」「みなと」などの地名があげられており、これらの場所は現在の北上川の流路と大きく変わらないことから、孫兵衛は新たに川を掘るような工事ではなく、その流路を広げたり流れを整理したりしたと考えられます。孫兵衛は、晩年、市内釜地区に住居をかまえました。二代藩主伊達忠宗がそこを訪れたことがあり、藩主の来訪に感激した孫兵衛は住居を菩提寺にすることに決めましたが、願いかなわず没しました。
今は、遺言どおり真言宗大鈎山龍観院普誓寺が建てられ、孫兵衛は妻や彼の子孫とともに葬られています。
その後、付近に住んでいるというお爺さんにお話を伺うことができました。なんでも
この付近(石巻グランドホテルの辺り)は、米倉、繭倉が立ち並んでいて、縄張神社の近くには、築山のある日本庭園と豪邸があったとのこと。
その豪邸に住んでいた資産家は、近くの子供たちの教育に熱心で、その中から学者も出て、ご進講に臨んだ者もいた。
お社の入り口に掛けられている燈籠は、この付近に住んでいる絵描きの先生が描いたものである…
奇しくもこの日は、川開き祭りの日でした。孫兵衛の河川改修工事を記念するお祭りです。