すゞろなる記

すずろ【漫ろ】〈形動ナリ〉たいしたものではない。たわいもない。

美保関「美保館」に泊まる

松江だんだん道路を北上し、途中、中海(なかうみ)、堺水道(さかいすいどう)を右手にして、美保関に向かいます。

今日のお宿は美保関にある「美保館」です。

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広縁から美保関漁港が望めます。

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ライトを拡大しました。凝った造りですね。

文化財の本館ではなく、新館に宿泊しているのですが、このライトのように新館にも見所があります。

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下は、客室玄関上部の照明です。まるで宝石のよう

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正林寺と出雲国造25代の墓所

神魂神社から北西に200m程のところにある、正林寺に向かいます。

ここには出雲国造25代の墓所があるとのこと。

 

神魂神社を後にする時に学生服を着た中学生が一人、神社正面の坂道を下りてきて、鳥居に向かって深く一礼、その後坂を下ったところで私たちが乗車している車にも深く一礼してくれました。ガイドとの会話も含め、本当にこの辺りの方は神社(と参詣する人)を大切に考えていることが伺い知れる思い出です。

 

正林寺の本堂の裏手、坂を上がった正面に出雲国造25代の墓が横一列に並んでいます。

丁度、草むしりをされていたご住職のお許しを得て、撮影致しました。

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春と秋のお彼岸に、千家と北島の両家がお参りに来られるとのこと。

神魂神社・下

本殿を右側から撮影

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参拝者は私とガイドの他に、スーツ姿の中年男性3人組でひっそりと静まっています。

御朱印をお願いした巫女さんに「今日は神在祭ですね?」とお話を伺おうとしましたところ、「はい。祭りと言っても、華やかなものではありませんが」と、にべもない返答。神様をお迎えしている最中なので、あまり物音を立てないように気を遣われているのかも知れません。

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本殿を左側から撮影。ガイドの説明によると、出雲国造の25代まではこの付近にお住まいになっており、その後今の出雲大社の辺りにお移りになったとか。この本殿の2倍の大きさで出雲大社の本殿を建てたとのことです。

スーツの3人組は本殿の方よりも、周りの木や碑の方に関心があるようです。神社関係の人なのでしょうか。

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本殿の左右に、このような摂社が並んでいます。

写真の左側は武勇社、右側は蛭子社です。ガイドが言うには、蛭子社のお社(やしろ)が建てられているのは非常に珍しく、他に祀られている神社は2~3社のみに限られるとのこと

神魂神社・上

八重垣神社から2km位のところにある、神魂神社に向かいました。神魂は「かもす」と読みます。

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丁度この日は、神在祭の日でした。神社によって、神在祭の日取りに若干のずれがあるようです。

意宇六社めぐりのポスターです。意宇(おう)とは、この辺りの旧名とのこと

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案内看板

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出雲国造が25代まで奉仕され、現在の出雲大社に移住後も参向されているとのこと