すゞろなる記

すずろ【漫ろ】〈形動ナリ〉たいしたものではない。たわいもない。

鍵善良房の「くずきり」(日本橋高島屋 第44回グルメのための味百選)

おしぼり

水上勉氏の評

 小さい頃、若狭の野山でくずの花をみた。紫色のふさになって咲くこの花は、秋末にはサヤ豆のような果になっていた。京の「鍵善」にきてくずきりをたべていると、故郷の土の香がするのは私だけであろうか。

 聞けば、「鍵善」では大和のくずをつかっているそうな。しかし、むかしのくずは若狭境の奥山産のがあったともいう。くずは根のつよい植物で、アメリカなどは日本から種子を輸入して、土くずれを防ぐ用に供し、何万坪ものくずの花の咲く山があるそうだ。花はみごとでも、根がおいしくたべられるくずの風雅はアメリカ人のものではない。

 これはなんといっても日本の味だ。酒好きの私が、「健善」の二階へあがって、あの独得の器に入れてさし出されるくずきりに、舌つづみを打つのは宿醉(ふつかよい)の朝である。蜜の甘さと、くずの淡白さが、舌の上で冷たくまぶれて、つるりとのどへ入りこむ。

 あの味は、菰かむりから出る地酒の特級と同趣で、じつにうまい。うろこのようにかさなって咲く紫の花びらが、たべ終わったのこりの、永水の面に、うつっているような気がする。私はいつも、二杯目をおかわりして笑われる。櫸づくりの店のたたずまいも、京の「健善」の風格にちがいないが、器や卓がいくらこられていても、味がまずければ永続するものではない。日本の山野の土を守った根が、おいしく加工されているからである。文明は山野をいくらけずりとっても、自然の美味はのこすものだ。

 くずきりは京の味の王者だと思う。

特徴のある器の蓋

中の器には黒蜜

黒蜜に付けていただく

夏の暑い日に、本場京都で食べられるのは何時になることか

箸袋にも鍵の紋

木札

案内板