と思った光景
と思った光景
左から、フ-VS90NB、フ-V90B、フ-V90Y、フ-V90G、フ-V90CB、フ-V90P
「90」の後の文字は、色を表しているのだろう。
フ-VS90NB、フ-V90Bの比較。
左のフ-VS90NBは表面にビニール加工を施しているためか、光を反射している。
フ-VS90NB裏面の説明書きを見ると「ストロングタイプ」と記載してある。
フ-V90Bの裏面には、「ストロングタイプ」の記載はない。
左がフ-V90G、右がフ-V90CB。
右のフ-V90CBは、上記のフ-VS90NB、フ-V90Bに比べると濃い青色である。
左がフ-V90Y、右がフ-V90P。
光の加減のせいか、左のフ-V90Yの発色がくすんで見えるが、冒頭の画像が、実際の色味をよく表していると思う。
河野太郎大臣のブログ「ごまめの歯ぎしり」を参考に、新嘗祭の次第を記す。
まず、夕の儀
御殿を装飾する。
次に神座を奉安する。
夜5時35分頃、参列の諸員が参集所に参集。外套は、黒色又は地味な色、マフラーは白色又は地味な色、毛皮は避けることとなっている。
5時55分に、総理を先頭に閣僚は年齢順に並び、蝋燭を灯した提灯に導かれて参進する。
総理を先頭に三権の長、閣僚、最高裁判事などが幄舎に着床(椅子に座ること)する。神殿と幄舎に囲まれた広場では、数カ所に穴が掘られ、たき火が焚かれている。焚き火と提灯の光の中、雅楽が奏でられている。
膳舎(かしわしゃ)から掌典、采女(うねめ)、掌典補約20名によって、脂燭を先頭に削木(けずりぎ)、お手水の具等や葛筥(くずばこ)に納められている数々の神饌を手に手に捧持し、神嘉殿の東階下に立ち並んでお待ちしている。
次に親王が参進して幄舎に着床される。
午後6時、天皇陛下が、純白生絹(すずし)の御祭服で、御冠は立纓(りゅうえい)を特に巾子(こじ)越しに前に曲げて白絹で括った「御幘(さく)御冠」で、神嘉殿正面から出御。皇嗣殿下も純白の祭服で、続いて参進。
天皇陛下が神嘉殿に出御されると、「おーしー」の警蹕一声がある。
天皇陛下には神嘉殿母屋の中に独り端座され、まず采女奉仕によるお手水が行われる。
陛下がお手水を終えられた後、神饌行立(しんせんぎょうりゅう)が開始され、次々に神嘉殿内に運び込まれる。
次に運び込まれる神饌を古来伝承の御作法に従い丁寧に自らお供えになる(午後6時10分頃から7時30分頃まで)。
御親供(ごしんく)が終った後、御拝礼の上、御告文(おつげぶみ)を奏上(午後7時30分頃)、五穀の豊穣を奉謝され、国の平和と国民の安寧をお祈りになる。
次に御直会。天皇陛下には神々と対座され、神様にお供えしたものと同じ新穀(米御飯・栗御飯)、新酒(白酒(しろき)・黒酒(くろき))を召し上がられる。この白酒、黒酒は、各都道府県の精農家からの献穀をもって謹醸され、行われたばかりの新嘗祭(にいなめのまつり)に、皇祖はじめ天神地祇に供進されたもの。
次に皇嗣が拝礼される。
次に親王が拝礼される。
次に諸員が拝礼する(午後7時40分頃から)。総理を先頭に一人ずつ神殿に拝礼する。神殿の前の真菰(まこも。ござのようなもの)の前で一礼し、真菰上で拝礼、そこから降りて一礼して退下。八時二十二分
その後、本来ならば参集所で直会のところ、コロナ禍のため、お弁当と白酒、黒酒をいただいて一度、宿舎に帰る。
次に神饌を撤下する。
次に天皇が入御になり、続いて皇嗣が退下される。(神嘉殿裏廊下から)
次に神饌退下
次に親王が退下される。
次に諸員が退下する。(午後8時頃)
暁の儀は、以下の次第により、夕の儀と同じ儀式が執り行われる。
参列の諸員が参進して幄舎に着床する。(午後10時55分頃)
次に親王が参進して幄舎に着床される。
午後11時、天皇が出御になり、続いて皇嗣が参進される。(神嘉殿裏廊下から)
次に神饌行立(しんせんぎょうりゅう)
次に天皇が神饌を御親供になる。
次に御直会
次に皇嗣が拝礼される。
次に親王が拝礼される。
次に諸員が拝礼する。(翌午前0時40分頃から)
次に神饌を撤下する。
次に天皇が入御になり、続いて皇嗣が退下される。(神嘉殿正面から)
次に神饌退下
次に親王が退下される。
次に諸員が退下する。(翌午前1時頃)
学生時代に先生から、問題集1冊をクラスで分担して答案集を作るように指導を受けた。
第1問が学籍番号1番の者の担当、第2問が2番の者、第3問が3番の者と言うように、番号順に担当を割り振り、各自が作成した答案を答案集としてまとめるのである。このことにより、自分とは異なる計算過程を知ることが出来たり、間違えやすい点を確認したりすることが出来るのである。
他者の答案を見ながら、「その解法は思いつかなかった」と驚嘆することもあれば、「これは私の解法の方がスマートだ」と悦に浸ることもある。
間違えてしまった答案については、どこで誤ってしまったのかを先生が解説をしてくれる。よくある間違いは、得てして自分も理解が甘い分野でもある。他者の答案をきっかけにして先生の丁寧な説明が聞ける良い機会になる。
「このあと分かりません」と答案が止まっている。これはこれで良い。別にテストではないのだから、このような答案をきっかけにして、理解を深めていくのである。
「崩壊」で答案が止まっている。何も記述せず白紙で提出することはなく、途中過程を書いているのだから、これも良いと思う。やっかいなのが、分かったふりをして取り繕った答案を提出してしまう者である。取り繕うことなく、真面目に答案を書いて、途中で断念しているのだから、この答案には救いがあると思う。学生時代は妙なプライドが邪魔をして、自分が分かっていないことを素直に認められないところがある。そのような年代でありながら、自分の限界を吐露しているのだから、この答案を提出した者は素直な者だと思う。
「川端康成展」を見てきた。
10月半ばというのに、日の当たる所は汗ばんでしまう。
ジジッと蝉が啼いている。蝉の声を聞くのも、今年はこれが最後だろう。
港が見下ろせるようになっている。
ぼうっと眺めていると、60歳位の女性に話しかけられた。
「あら、こんなに見晴らし良かったかしら」
滅多に来ないので、何とも返答しづらい。
「そうですねえ・・・。あ、大きな切り株があるから、どうやら伐採したんですね。
石の腰掛まで置いてあるのだから、港を見渡せる休憩場にしたのでしょう」
「立派な木が生えていたのに、丸裸にしちゃって」
どうやら、木を伐採してしまったのが不服らしい。
どうも、ごめんなさいと言って女性は去っていく。
なんとなく、港を見下ろしていると、40代位の男女がやって来る。
あ、ここ港が良く見えると喜んで写真を撮ったりしている。
人によって、思いは様々。
霧笛橋の欄干に留まる烏
ゆっくりと過ごしたいところだが、やぶ蚊が寄ってきてしまう
綺麗なところですね。
как сломать рукуと言う表現を分析してみる。
как は疑問を示す副詞との説明であり、日本語では「どのように、いかにして、
なんという、どのくらい」という意味に当たるだろう。
сломать を調べると、完了体であることを示す記号とともにломатьを参照せよとある。そこでломатьを紐解くと、不完了体との記号とともに、「(からだの一部を)痛くさせる」と記してある。
рукуは、рукa の対格であり、辞書によると「手、腕」となっている。
как сломать рукуと繋げると、「腕をどのようにして痛めるか」なので、「腕の折り方」と訳すのがこなれた表現かもしれない。
完了体動詞と不完了体動詞の説明については、東京外国語大学のホームページによれば、以下のようになっている。
完了体動詞 -具体的な一回の動作の完了・終了と結果を表す。
不完了体動詞-完了・不完了にかかわりなく、どのような動作を行うかという動作の事実、動作の種類、 過程、 反復を表す。
deeplを活用して、как сломать руку とкак ломать руку のそれぞれを英訳してみると、両者ともhow to break an arm との訳となった。不完了体による「腕を折る状態」という文章はもともと妙な表現だからなのだろうか、完了体の文章と異なる訳とはならないようである。